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    "title": "Tomoko SATO&#x27;s texts and notes",
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    "author": {
        "name": "Tomoko Sato"
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            "title": "もみじちゃん記・前編（長野県立美術館「再編する ― NAMコレクションの現在」）",
            "summary": "もみじちゃんは、都会から長野にきた鬼女です。 鬼の無い里と書く鬼無里（きなさ）という地域にもみじちゃんのお墓はあります。 長野県立美術館で開催されている企画展「再編する ― NAMコレクションの現在」に作品を出品している。作品は、映像と、もみじちゃんの木彫りの人形。 また、パフォーマンス作品として、美術館の周りを歩きながら私の語りを聞いてもらうレクチャーウォークも実施した。 タイトルは、《もみじちゃん ― 鬼女と水ともうひとつの東京》。 この作品をつくった過程を、ここに書いてみようと思う。 前編・中編・後編とあって、このページは前編である。 映像作品のなかには学芸員の池田さんにも出演してもらった（撮影：篠田優）&hellip;",
            "content_html": "<figure class=\"post__image\"><em>もみじちゃんは、都会から長野にきた鬼女です。</em><br><em>鬼の無い里と書く鬼無里（きなさ）という地域にもみじちゃんのお墓はあります。</em><br><br><a href=\"https://nagano.art.museum/exhibition/exhibit2026_NAM-dialogue\">長野県立美術館で開催されている企画展「<span style=\"font-size: inherit;\">再編する ― NAMコレクションの現在」</span></a><span style=\"font-size: inherit;\">に作品を出品している。作品は、映像と、もみじちゃんの木彫りの人形。<br></span><span style=\"font-size: inherit;\">また、パフォーマンス作品として、美術館の周りを歩きながら私の語りを聞いてもらうレクチャーウォークも実施した。<br><br>タイトルは、<a href=\"https://tomokosato.info/momiji-chan-kijo-water-and-another-tokyo.html\">《もみじちゃん ― 鬼女と水ともうひとつの東京》。</a><br><br>この作品をつくった過程を、ここに書いてみようと思う。<br><br><a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan.html\">前編</a>・<a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan-2.html\">中編</a>・<a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan-3.html\">後編</a>とあって、このページは前編である。<br></span></figure>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/2/NAM_20260428_5.jpg\" alt=\"\" width=\"2000\" height=\"1332\">\n<figcaption>映像作品のなかには学芸員の池田さんにも出演してもらった（撮影：篠田優）</figcaption>\n</figure>\n<figure class=\"post__image\">\n<figcaption></figcaption>\n</figure>\n<p>もみじちゃんは、鬼無里という地域を中心に伝わる鬼女紅葉という伝説の主人公だ。<br>今も鬼無里にいくと、もみじちゃんのお墓や、もみじちゃんが住んでいた屋敷跡が残っていて、見ることができる。<br><br>鬼無里は、善光寺がある長野の中心地から車で30分ほど行ったところにある。<br>担当学芸員の茂原さんの運転で、トンネルをいくつも抜けて鬼無里に向かう。<br>昔はいくつもの山を越えていかなければならなくて、今のようには簡単に行くことができなかったと聞いた。</p>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/2/IMG_7038.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\">\n<figcaption>もみじちゃんのお墓がある凌雲山松巌寺</figcaption>\n</figure>\n<p>もみじちゃんは都会から長野に来たが、都会のことが忘れられず、鬼無里に東京、西京といった地名をつける。そして、その地名も今も残っている。<br><br>鬼無里にはもみじちゃんの他にも、天武天皇の遷都計画によって人が調査に来たという説もあったりする。あと、いろは堂本店があって、焼き立てのおやきを食べられる。</p>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/2/IMG_7063-2.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\">\n<figcaption>1月に鬼無里に行ったときには裾花川が凍っていた</figcaption>\n</figure>\n<p>もみじちゃんには長野市立長野図書館で、調べものをしているときに出会った。<br>リサーチのはじめは、長野県立美術館が建っている城山の歴史について、改めて知ろう、というところから始まった。<br><br>郷土資料コーナーからいくつか本を取り出していると『紅葉狩』という本があって、なんとなく一番上に置いて、そのまま閲覧席に行った。<br>城山関係の本を読んでいると、隣に座っていた女性が、声をかけてきた。<br><br>「あら、紅葉狩じゃないの。私大好きで、よく観に行きました。」<br><br>「紅葉狩」は、もみじちゃんの伝説「鬼女紅葉」が、能の演目になったものである。<br>赤い葉っぱをつけた紅葉の木を山奥に見に来た将軍が、もみじちゃん一行と出会い、そのあと鬼になったもみじちゃんを倒す物語で、今も上演されているらしい。<br><br>そういえば、私の実家の前にも小さい紅葉の木がある。秋になると赤と黄色が混じった色になって、玄関を出て外の通りに出る途中、いつも視界の端っこに入っていたし、帰宅するときは、紅葉を見ながら家に近づいていく。<br><br>あの木の紅葉であり、鬼であり、都会から来た、もみじちゃん。<br>都会で息子を身ごもって、長野で生んだもみじちゃん。<br>薬や読み書き、琴や裁縫を長野の人に教えたもみじちゃん。<br>都会から来た将軍と戦争をして、殺されてしまった33歳のもみじちゃん。<br><br>私は今36歳だし、東京周辺から、生まれ育った長野に戻ってきているし、もみじちゃんはなんだか気になる存在としてふわふわと頭の片隅に居座っていた。</p>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/2/IMG_6801.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\">\n<figcaption>城山公園の中にある長野県立美術館。後ろには旧長野市蔵春閣が少し見える。</figcaption>\n<br>歴史を調べるなかで、城山では戦後に博覧会が二度行われたことがわかった。今も城山には美術館、公園、動物園、神社、科学館などたくさんの建物が並ぶが、当時もこのエリアをほぼすべて使って、大規模な博覧会をやっている。<br><br>一回目の博覧会は1949年で、まだGHQの占領中だったので、その後に城山にはアメリカ文化館やCIE図書館などがあったらしいということも知る。そこにあったアメリカ関係の本が城山公民館に移された（かも）という資料にあたったので、城山公民館に行ってみた。<br><br><figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\"  src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/2/IMG_6628.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\"></figure><br>城山公民館の隣には、存在感のすごい建物があった。二代目の蔵春閣という建物で、1967年に建てられたものだった。初代の蔵春閣は木造で、1908年に建てられていて、1949年に焼失している。現在は老朽化で立ち入り禁止だった。<br><br>隣の城山公民館に結局資料はなかったが、図書コーナーがあって、そこに『鬼女紅葉』（国土社、1974年）があった。「もみじちゃんだ」と思ってすぐ手に取ったその本の表紙には、「柴田道子 作、丸木俊 絵」と書いてある。中にはたくさんのもみじちゃんの挿絵があって、もみじちゃんが都会に行く前の話や、都会にいたときの話、長野にきてからの話、すべて知ることができた。<br><br>このもみじちゃんの絵を描いたのは、丸木俊である。広島の原爆が落とされたあとの惨状を描いた大作《原爆の図》を描いた一人である。丸木俊は、夫の丸木位里と一緒に戦後この作品を描いて、全国に持っていって、各地で展覧会をひらいた。<br><br>この長野の城山もその場所の一つで、1951年に《原爆の図》はここに来ていた。そして会場になったのは、初代蔵春閣と二代目の蔵春閣のあいだにあったと思われる「大会場」という場所だった。それはまさに、私が丸木俊の絵を通してもみじちゃんと再会した、この場所のすぐとなりである。<br><br><span style=\"text-decoration: underline;\"><span style=\"font-size: inherit;\"><a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan-2.html\">中編につづく</a></span></span></figure>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/2/NAM_20260428_85-2.jpg\" alt=\"\" width=\"2000\" height=\"1332\">\n<figcaption>私が彫った、こっぱ人形のもみじちゃん（左）。（撮影：篠田優）</figcaption>\n</figure>",
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                "name": "Tomoko Sato"
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            "date_published": "2026-06-01T16:40:00+09:00",
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            "title": "もみじちゃん記・中編（長野県立美術館「再編する ― NAMコレクションの現在」）",
            "summary": "長野県立美術館の企画展「再編する ― NAMコレクションの現在」に出品している作品《もみじちゃん ― 鬼女と水ともうひとつの東京》の制作過程を書いてみようと思った。 前編・中編・後編に分けて書いた。これは中編である。 城山公民館の休憩コーナー 鬼無里で出会った鬼女のもみじちゃんが、城山にもいて、 城山で出会ったもみじちゃんを描いたのは、《原爆の図》を描いて、 私が今いるこの城山公民館の隣の会場に持ってきた、丸木俊だった。 《原爆の図》の巡回展のことが気になって、岡村幸宣『《原爆の図》全国巡回: 占領下、100万人が観た!』（新宿書房、2015年）を読んだ。&hellip;",
            "content_html": "<figure class=\"post__image\"><a href=\"https://nagano.art.museum/exhibition/exhibit2026_NAM-dialogue\">長野県立美術館の企画展「再編する ― NAMコレクションの現在」</a>に出品している作品<a href=\"https://tomokosato.info/momiji-chan-kijo-water-and-another-tokyo.html\">《もみじちゃん ― 鬼女と水ともうひとつの東京》</a>の制作過程を書いてみようと思った。<br><br><span style=\"font-size: inherit;\"><a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan.html\">前編</a>・<a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan-2.html\">中編</a>・<a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan-3.html\">後編</a></span>に分けて書いた。これは中編である。<br><em><br></em>\n<figure class=\"post__image\"><code><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/3/IMG_6618-2.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\"></code>\n<figcaption>城山公民館の休憩コーナー</figcaption>\n</figure>\n鬼無里で出会った鬼女のもみじちゃんが、城山にもいて、<br>城山で出会ったもみじちゃんを描いたのは、《原爆の図》を描いて、<br>私が今いるこの城山公民館の隣の会場に持ってきた、丸木俊だった。<br><br>《原爆の図》の巡回展のことが気になって、岡村幸宣『《原爆の図》全国巡回: 占領下、100万人が観た!』（新宿書房、2015年）を読んだ。<br>長野の巡回展の詳細はもちろんのこと、その後の新潟での展覧会についても詳細が載っていた。そこでは上野誠という版画家が受け入れの中心人物をしていて、宣伝用のポスターを自ら彫っていた。<br><br>上野誠。その名前にはどこか親しみを感じた。<br><br>高い天井に大きなグランドピアノ。私は小さい頃バイオリンを習っていたのだが、その発表会をしていたのが、川中島にある「<span style=\"font-size: inherit;\">ひとミュージアム上野誠版画館」だった。<br><br>版画館は閉館してしまった（上野誠の多くの作品が長野県立美術館に収蔵された）が、その近くの大きな交差点の片隅には「恒久平和を求めて」と書かれた碑があって、そこには</span><span style=\"font-size: inherit;\">上野誠の鳩がいる。</span><span style=\"font-size: inherit;\"><br><br></span></figure>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/3/IMG_6842-2.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\">\n<figcaption>夜に撮ってしまった。今度また撮り直し予定。</figcaption>\n</figure>\n<figure class=\"post__image\">上野誠の《原爆の図》巡回展用の宣伝ポスターには一人の女性が二人の子供を抱えた姿が彫られている。3人はこちら側をじっと見ている。作品のタイトルは「戦争はもういやです」という。<br><br>長野にやってきた《原爆の図》は３部作だった。そのうちの一つは「水」という題がついている。「水」の真ん中にも、子供を抱いた女の人が描かれている。女の人はうなだれて、子供は母の腕のなかでだらりとしている。<br><br>1954年に出版された図録を取り寄せた。そこにはそれぞれの図に文章が寄せられていた。声に出して読む。「水」の図で書かれていたのは、真ん中に描かれている母子の話だった。<br><br><em><img  src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/3/IMG_7041.jpg\" alt=\"\" width=\"3024\" height=\"4032\"></figure></em><br><br>もみじちゃんのお墓がある鬼無里の松巌寺には、観音母子像があって、子供を抱いた観音がいた。<br><br>もみじちゃんにも息子がいた。<br>物語のなかでは戦争中に息子も殺されるが、息子の墓は長野のどこにも見つけられなかった。<br><br><em><figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\"  src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/3/IMG_6823-1.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\"></figure></em><br><br><em>鬼女のもみじちゃんは都会から長野にやってきて、</em><br><em>都会のことが忘れられなくて、鬼無里に東京をつくりました。</em><br><em>その地名はまだ残っていて、今も訪れることができます。<br><br></em>もみじちゃんが長野の山のなかに東京をつくったこと、<br>そのことを知って、私は長野にある、もうひとつの、東京と深いかかわりのある松代に向かった。<br><br>松代に来たのは、小学校のときに遠足で来た以来だった。当時もこの壕の中に入って、解説を聞いたのを覚えている。フェンスの先に続く穴の向こうの暗闇をみていたら、多くの朝鮮人がこの穴を掘る作業で亡くなったことを聞いて、そのままその闇から目が離せなくなった。<br><br>松代大本営平和祈念館の方に案内してもらって、祈念館にある展示や、壕を見て、ほかの山にも穴があること、大本営だけではなくて、電話局や宮内省、天皇の御座所もできる予定だったことを聞いた。<br><br>天皇が来る予定だったところは気象庁の建物になっているが、今も外から見ることができる。ガイドの方とガラスの窓におでこをくっつけて覗いた。<br><br>天皇が来る予定だった場所の周辺に住んでいた住民は立ち退きをしなくてはいけなかったらしく、その検問所の跡も教えてもらった。目の前にはたくさんの住居がある光景が広がっていた。</p>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/3/IMG_6834.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\">\n<figcaption>天皇が来る予定だった建物から見える山。三種の神器を入れる賢所ができる予定だった。</figcaption>\n</figure>\n<p><em>1944年11月11日11時、ドーンという、山に穴をあける音。</em><br><em><span style=\"font-weight: 400;\">松代に東京（の中枢機能）を移す工事が始まります。<br></span></em></p>\n<figure class=\"post__image\"><em><span style=\"font-weight: 400;\">たくさんの人が、山に穴をあけていきます。 <br></span><span style=\"font-weight: 400;\">朝鮮人と日本人、約1万人が動員されたといわれています。 <br></span><span style=\"font-weight: 400;\">しかし</span></em><em><span style=\"font-weight: 400;\">、正確な数字はわかっていません。 </span><span style=\"font-weight: 400;\"> <br><br></span></em><em><span style=\"font-weight: 400;\">山の中の「東京」は、10キロメートル以上あり、大きく、長く、暗いです。 <br></span><span style=\"font-weight: 400;\">常に少し暖かく、しっとりとしていて、ところどころ水が岩肌を濡らしています。<br><br><img loading=\"lazy\"  src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/3/IMG_6819.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\"></figure><br></span></em></p>\n<p>松代は山が近くて、街中には川が流れている。<br>静かな空気のなか、ちゃらちゃらちゃらと水の音が聞こえてくる。<br>そういえば、鬼無里でも城山でも、ずっと水の音が聞こえていた。<br><br>鬼女もみじちゃんの墓がある鬼無里は裾花川の源流付近だ。<br>山から湧いた水は、山を流れ下って、大きな川に合流し、新潟の海にたどり着く。<br>そしてそこから遠く遠くに流れていく。<br><br><span style=\"text-decoration: underline;\"><span style=\"font-size: inherit;\"><a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan-3.html\">後編につづく</a></span></span><br><br></p>",
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                "name": "Tomoko Sato"
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            "title": "もみじちゃん記・後編（長野県立美術館「再編する ― NAMコレクションの現在」）",
            "summary": "長野県立美術館の企画展「再編する ― NAMコレクションの現在」に出品している作品《もみじちゃん ― 鬼女と水ともうひとつの東京》の制作過程を書いてみようと思った。 前編・中編・後編とあって、これは一番最後の後編である。 今回の映像作品の構成は、映画作家の草野なつかさんにお願いした。 1月、冬真っ只中の長野に長野に来てもらって、一緒に城山・鬼無里・松代を回る。 「どこにも水がある」と話していたら、草野さんは川や暗渠にとても詳しくて、一見水が見えないところでも、 「ここ暗渠ですね」「ここはもともと川ですね」 と、さらなる水の存在を発見していた。 タイトルを《もみじちゃん&hellip;",
            "content_html": "<p><a href=\"https://nagano.art.museum/exhibition/exhibit2026_NAM-dialogue\">長野県立美術館の企画展「再編する ― NAMコレクションの現在」</a>に出品している作品<a href=\"https://tomokosato.info/momiji-chan-kijo-water-and-another-tokyo.html\">《もみじちゃん ― 鬼女と水ともうひとつの東京》</a>の制作過程を書いてみようと思った。<br><br><span style=\"font-size: inherit;\"><a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan.html\">前編</a>・<a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan-2.html\">中編</a>・<a href=\"https://tomokosato.info/texts/momiji-chan-3.html\">後編</a>とあって、</span>これは一番最後の後編である。</p>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/4/IMG_7029.jpg\" alt=\"\" width=\"4032\" height=\"3024\">\n<figcaption>もみじちゃんの内裏屋敷跡</figcaption>\n</figure>\n<p>今回の映像作品の構成は、映画作家の草野なつかさんにお願いした。<br><br>1月、冬真っ只中の長野に長野に来てもらって、一緒に城山・鬼無里・松代を回る。<br><br>「どこにも水がある」と話していたら、草野さんは川や暗渠にとても詳しくて、一見水が見えないところでも、<br><br>「ここ暗渠ですね」「ここはもともと川ですね」<br><br>と、さらなる水の存在を発見していた。<br><br>タイトルを《もみじちゃん ― 鬼女と水ともうひとつの東京》にすることに決めて、台本を書き始めた。<br><br>もみじちゃんと水を巡って旅をする。書き始めたときは、そんな感覚だった。<br><br>都会から長野にやってきて、33歳で戦争で死んだもみじちゃんは、どんな気持ちだったのだろう。能の『紅葉狩』のなかでは、存在を忘れられて寂しい、といったような台詞が出てくるけど、もみじちゃんは鬼無里にいたとき、何を考えていたのだろう。<br>上手く言語化できないけれど、もみじちゃんに親密さを覚えていった。<br><br>松代の松代大本営平和祈念館の展示に、地下壕が掘られる前の時代の背景や長野での出来事がまとめられているパネルがあった。<br><br>1933年に治安維持法違反として多くの教員が検挙された事件、二・四事件についてもそこで知った。<br><br>大正時代から長野では、自由主義教育や白樺派の影響を受け、新しい教育を実践する先生がたくさんいた（その流れのなかで白樺派の人たちが長野に講演に来ていたりしている）。その多くが、反戦を唱えていた。美術館の隣の城山小学校にもそうした先生もいた。そして、信州白樺派と呼ばれる人たちも生まれていく。<br><br>だが、二・四事件の後、反戦を唱えていた教員は教育現場から遠ざけられる。その後、長野県は多くの青少年を満州に送り出したりしていて、教育現場も戦争協力体制になっていく。<br><br>そして思い出す。<br>私の祖父母の家の近くの集落に建っている、満州開拓移民慰霊碑。<br>城山の美術館のすぐ近くに建っている、<span style=\"font-weight: 400;\">満州開拓青少年義勇隊の碑。</span><br>阿智村にある、満蒙開拓平和記念館。<br>景色が次々と流れてくる。<br><br>パネルを見ながら、この時代、アーティストはどうしていたのだろう、と思った。<br>そして芸術家の山本鼎が長野県上田ではじめた農民美術運動、こっぱ人形と出会う。</p>\n<figure class=\"post__image\"><img loading=\"lazy\" src=\"https://tomokosato.info/texts/media/posts/4/att.eijvLAxQj1V3TdRHws6mpoH7kIDkp2WRx4ZemBeBR_0.jpg\" alt=\"\" width=\"1080\" height=\"1920\">\n<figcaption>初めて彫った日のもみじちゃん。全然できなくて絶望する。</figcaption>\n</figure>\n<p>こっぱ人形という、木の木っ端から彫っていく人形がある。山本鼎がはじめた農民美術運動のなかの制作物の一つで、上田市立美術館の山本鼎コレクション展示で見たものには本当に枝一つから形を彫り出していったものもあった。<br><br>コゲラの里工房というアトリエで、こっぱ人形教室がある、ということを知って、アポを取って、担当学芸員の茂原さんと先生に会いに行く。<br>先生の話は、技術的なことから、農民美術運動の思想や背景まで、丁寧に教えてくれた。<br><br>1919年に始まった農民美術運動は、<span style=\"font-weight: 400;\">日本で戦争が激化していくなか、 1938年に</span><span style=\"font-weight: 400;\">研究所は</span><span style=\"font-weight: 400;\">閉鎖され、農民美術運動も収束していく。<br><br>戦争の気配を感じながらも、作る喜びを農民をはじめ、長野の人に教えていく山本鼎の話は、鬼無里の人たちに読み書きや琴、縫い物を伝えたもみじちゃんの姿にも重なっていく。<br></span></p>\n<p><em><span style=\"font-weight: 400;\">「自分が直接に感じたものが尊い<br></span><span style=\"font-weight: 400;\">そこから種々の力が生れてくるものでなければならない」 </span></em></p>\n<p><span style=\"font-weight: 400;\">これは山本鼎が言った言葉だが、<br>「直接感じる」ということに、こっぱ人形を彫りながら実感が少しずつ湧いてくる。<br><br>こっぱ人形をつくるとき、私は、木を触りながら、彫る対象についてじっくり考えたり感じたりする。<br>私は、人体のつくりや、木の流れを感じていく。<br>時間をかけて対峙して彫ったそれは、私にとって、とても大事なものになる。<br><br>それは、戦争をするぞ、となる態度とは真逆のものに感じたし、私は絶対にもみじちゃんを彫りたいと思った。そして工房に通った。<br>丸木俊が描いた、もみじちゃんの挿絵を参考に、私のもみじちゃんを想像し、彫っていく。<br><br>どういう人だったのだろう、33歳だからあまり子供に見えても違うよね、都会から来た人だし伝説的な人だから髪の毛は長くて多くてもいいかもね、角は村人には見せてなかったのではないか、戦争をしたのだから、おとなしく座っているというより、力を感じる、今にも動き出しそうな感じを少しでも持ったほうがいいかもね、<br><br>そんなことを先生と相談しながら、私自身の身体を見て、人体のかたちを確認しながら、もみじちゃんを彫刻刀で彫っていく。</span></p>",
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